昭和16年頃には、下浦出身の石工店が九州各県に広がり96軒あったと記録されています。
材料となる下浦石の採石場が22箇所あって、採石場によって材質が違い用途が決まっていたそうです。
明治23年に弁財天敷地に隣接する海面使用許可を申請し、この石工場を開設。
石工場は年々増えていき埋め立てを拡張していきました。昭和40年頃までこの場所で石工場が動いておりました。
実際に現地へ足を運んで勉強してくれ、子供達に地元の宝物として残ってくれたら嬉しいです!
昭和16年頃には、下浦出身の石工店が九州各県に広がり96軒あったと記録されています。
材料となる下浦石の採石場が22箇所あって、採石場によって材質が違い用途が決まっていたそうです。
明治23年に弁財天敷地に隣接する海面使用許可を申請し、この石工場を開設。
石工場は年々増えていき埋め立てを拡張していきました。昭和40年頃までこの場所で石工場が動いておりました。
実際に現地へ足を運んで勉強してくれ、子供達に地元の宝物として残ってくれたら嬉しいです!